ロボット、バイオテクノロジー、ヘルスケアなど、投資先として注目を集めている技術分野があるが、それらと並んでここ数年、シリコンバレー企業の経営者や投資家たちがこぞって資金を投入しているのが宇宙だ。かつて宇宙といえば、国レベルの研究機関や大手通信事業者以外には無縁の世界だったが、人工衛星をセンサ機器として捉えれば、それは大きなIoTソリューションの一つにほかならない。ITとの急速な接近により、今やビジネスのフィールドになりつつある宇宙。米国だけでなく、日本のスタートアップ企業もこの市場にチャレンジしようとしている。(取材・文/日高 彰)
●宇宙開発の最先端に立つのは
シリコンバレーのIT長者 5月6日、衛星通信事業者・スカパーJSATの通信衛星「JCSATー14」を宇宙空間に打ち上げたロケット「ファルコン9」の第1段目が、大西洋上に設けられた“ドローン船”(無人のプラットフォーム)に帰ってきた。宇宙から戻ってきたロケットは、姿勢を垂直に整えながら着陸用の脚を展開し、打ち上げ時に使ったメインエンジンを再び点火。逆噴射で降下のスピードを落とし、4本の脚で船の甲板上にまっすぐに立った。

4月に初の洋上着陸を成功したスペースXのロケット「ファルコン9」の1段目。
©SpaceX
一度宇宙へと旅立ち、時速約8000キロメートルまで加速したロケットを、再び地球上に立たせて回収するという離れ業。これをやってのけたのは、これまで宇宙開発の最先端を切り拓いてきたNASAではない。米国の民間企業、スペースXだ。同社は昨年12月、陸上でのロケット再着陸を初成功させたのに続いて、今年4月には人類初となる洋上着陸を実現。そして今回、2度目の洋上着陸に成功した。4月は、高度が比較的低い国際宇宙ステーションへの補給を目的としていたのに対し、5月のミッションはより軌道の高い通信衛星の打ち上げだったため、戻ってくるロケットのスピードが速く、制御はより難しい。スペースX自身、今回着陸に成功する可能性は低いと声明を出していただけに、同社による2回連続の洋上着陸成功は、世界の宇宙航空関係者たちに大きな驚きをもって迎えられた。
このような偉業を遂げたスペースXは、02年に設立されたばかりの若い会社だ。トップを務めるのは、ネット決済大手ペイパルの創業者で、最近では電気自動車メーカー・テスラモーターズのCEOとしても有名なイーロン・マスク氏。創業14年のスペースXは「宇宙ベンチャー」と呼ばれることが多いが、前述の通り日本の事業者が運用する商業衛星の打ち上げを行ったり、11年にNASAのスペースシャトルが退役して以降は、ロシア、日本の“官製機”とともに国際宇宙ステーションへの物資補給でも重要な役割を果たしたりと、ロケット・宇宙船の開発および打ち上げ事業ですでに多くの実績を有している。従業員数は4000人以上。マスク氏はもはやシリコンバレーで成功したIT長者という枠には収まらず、世界の宇宙開発をリードする存在になりつつある。
●垂直着陸技術で競い合う
テスラとアマゾン!? スペースXは民間宇宙ベンチャーの最右翼だが、マスク氏だけが特別な変わり者で、ITの世界から宇宙開発へ転じたというわけではない。今、マスク氏の最大のライバルは米アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏だ。同氏はスペースXに先立つ2000年、宇宙開発企業のブルーオリジンを設立し、スペースX同様、垂直に再着陸が可能な宇宙船「ニューシェパード」を開発している。スペースXのロケットとは異なり、現在は垂直に約100キロメートルの高さ(これより上が一般的に宇宙空間と呼ばれる)まで上昇し、まっすぐ地上へ降りてくるだけで、まだ衛星を軌道に投入する能力はないが、地上への垂直再着陸に成功したのはブルーオリジンのほうが先だ。しかも、着陸・回収した機体を整備して、再び宇宙へ送り出すことにも成功している。
スペースXもブルーオリジンも、この「機体の再使用」を実現するために、難度の高い垂直着陸技術を確立しようとしている。現在多くのロケットや宇宙船は使い捨てで、一度打ち上げたら大気圏へ再突入して燃え尽きるか、回収されても機体は破棄される。数十億~数百億円もする機体を、使い捨てではなく再使用することで、1回あたりのコストを劇的に下げ、より多くの人が宇宙を利用できるようにするというのが両社の戦略の根底にある。再使用するためには、なるぺく“きれい”な状態で機体を回収しなければならず、大きな衝撃の加わるパラシュート着陸ではなく、垂直にふわりと戻ってくる必要がある。割りばしを投げて地面に立てるような難題に挑戦を続けているのはこのためだ。
マスク氏は、ロケットの再使用によって打ち上げコストを100分の1にすることを目指しているという。しかし、再使用型宇宙船の代表であるスペースシャトルは、整備費用がかさむために、結局は使い捨て型に比べても高コストだったと指摘されている。再使用によって本当にそこまで「宇宙が安く」なるかは未知数だ。とはいえ、スペースXは他社なら100億円かかる打ち上げを60億~70億円程度で行うといわれており、実際に安さを武器に衛星打ち上げのシェアを伸ばしている。宇宙という市場において、同社が低価格化のトレンドをつくっているのは間違いない。
.jpg?v=1490877727)
ブルーオリジンの「ニューシェパード」は、既に使用済み機体の再利用に成功している。
©Blue Origin
●宇宙の主導権は
官から民へ 誰もが宇宙旅行を楽しめる時代はまだ先になりそうだが、宇宙の低価格化の道筋がみえてきた背景としては、これまでの宇宙が国家のプロジェクトに独占されていたのに対し、民間が活躍できる場所が広がってきたことが挙げられる。
政府主導の宇宙開発は、公金を使う以上大義名分が必要となり、世界初の発見を求める最先端の学術研究や、国家の利益につながる防衛などが目的になりがちだ。ライバルの国より上を目指すことが求められ、多数の関係者の利害を調整する必要もあり、衛星やロケットの仕様はオーバースペックになりやすい。しかも、ビジネスでないためコスト削減のモチベーションが生まれにくい。国家が中心となって宇宙開発をしていた時代、宇宙の値段が高止まりしていたのはある意味で当然だった。
この流れを変えたのは、やはり宇宙開発のトップを走っていた米国だ。財政難で宇宙開発予算の削減圧力が高まり、スペースシャトル退役を余儀なくされたNASAは、民間技術の積極活用へと舵を切った。多額の税金を使って自前ですべての技術を開発するよりも、すぐれた技術をもつ民間企業を活用・支援するほうが効率的で、産業の発展にも寄与するという考え方だ。
そこに、ITで成功した起業家たちの技術センスと資金が流入し、今もITから宇宙への勢いは増し続けている。前述のイーロン・マスク氏、ジェフ・ベゾス氏以外にも、マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏は、空中発射型ロケットを開発するストラトローンチ・システムズを11年に設立し、さらに同社技術の商用サービス化を目的としたバルカン・エアロスペースを15年に設立した。グーグル共同創業者のラリー・ペイジ氏は12年、小惑星の資源探索を目指すプラネタリー・リソーシズに出資している。フェイスブックも、インターネット接続環境をもたない人々に向け、無人飛行機や衛星を通じてネット環境を提供する研究チーム「コネクティビティ・ラボ」を社内に設けたことを14年に発表している。もちろん、順風満帆なプロジェクトばかりというわけではなく、むしろ難航している事業のほうが多いくらいだが、それでもシリコンバレーでは、ITの成功者は宇宙に投資するのが当然といって差し支えない構図ができあがっている。
クラウドコンピューティングの登場によって誰もが最先端のITインフラを利用できるようになったのと同様、今後数年のうちに宇宙へのアクセスコストが下落すれば、誰もがロケットや人工衛星を使ったビジネスを行うことができるようになる。
数年中には無理だとしても、十数年のスパンでみれば宇宙の低価格化は間違いない。そうなったとき、宇宙ビジネスの準備を整えていなかったというミスは経営者としてあり得ない──IT長者たちがこぞって宇宙に投資するのは、このような考えがあるからではないだろうか。
となれば問題は、宇宙をどう利用して収益を挙げるかだ。
[次のページ]