日産自動車の辣腕経営者カルロス・ゴーン氏のリバイバルプランの策定に携わり、ゲーム会社コナミの北米事業を軌道に乗せた。グローバル経営の手腕を買われてテンアートニ(現サイオステクノロジー)に移った。
IT業界の第一印象は「シリコンバレーを中心に動いている」こと。国内ベンダーは主導的立場にない。自動車やゲームコンテンツ産業は他の業界に比べて国際競争力が高いうえ、人材も豊富。彼らは日本発のビジネス戦略で世界に打って出られる。
しかし、ITではそうはいかない。有力ベンダーが集まる「北米を起点にした戦略に切り替えなければグローバルビジネスは成り立たない」と感じた。昨年6月、入社と同時に北米に飛んだ。買収したばかりのソフト開発会社を基盤にした世界展開を模索するためだ。
入社当時は典型的なローカル企業だった。社内文書はすべて日本語。グローバル化の成熟度は「幼稚園児並み」。そこで世界に通じやすいよう現社名に変更。今年1月にはグローバルビジネス支援本部もつくった。米子会社の幹部と電話会議が円滑に行えるよう、役員会での会話も順次英語に切り替える。
「最初は慣れないかもしれないが、方向転換に多大な時間がかかるほど大きな会社ではない」と、世界に向けて勢いよく舵を切る。
英語を身につけたのは32歳を過ぎてから。今でも英語の歌は「念仏のように聞こえる」。ネイティブのようにはいかない。
日産、コナミ時代、通算で10年あまりを海外で過ごした。日本文化の押しつけは「通用しない」ことを学んだ。欧米流のビジネス作法を謙虚に学び、自らの文化を融合させていくことで新たな世界が見えてくる。
プロフィール
郷坪 智史
(ごつぼ ともふみ)1954年、広島県生まれ、山口県育ち。80年東京大学法学部卒業。同年、日産自動車入社。89年、ニューヨーク大学でMBA取得。海外部門で製造販売、事業企画など幅広く経験。カルロス・ゴーン社長の経営再建計画「日産リバイバルプラン」の策定に従事。グローバルブランド戦略を統括する。01年、ゲーム会社のコナミに転職。コナミUSAの社長兼CEOとして5期連続の黒字を実現。06年6月、ソフト開発のサイオステクノロジー(旧テンアートニ)に転職。現在に至る。