顧客の不安をあおるだけ

　日立製作所（庄山悦彦社長）はパソコン事業から撤退するのか──。

　同社が社内のクライアントを、パソコンから自社開発の専用端末に切り替えると発表してから、そんな憶測がパソコンおよび関連業界関係者の間で飛び交っている。

　日立が専用端末導入に踏み切る狙いは、セキュリティを強化するため。記憶装置を持たずデータを格納できない専用端末ならば、盗難にあっても情報が外部に漏れることはない。さらに専用端末化することでコンピュータウイルスなど外部からのアタックにも耐えられると判断したからだ。

　計画では今年度（2005年3月期）末までに、情報・通信グループでモバイル端末を活用している社員を対象に、まず2000台を導入する。その後、本社の他部門やグループ会社にも展開する方針で、最終的に3万台の専用端末を導入することになるという。

　ただ、「パソコンを作っている日立が、セキュリティ確保のためにパソコンを一掃する」ことでもたらされるパソコン事業への影響は、決して小さくない。

　顧客にはパソコンをクライアントマシンとしてシステム構築しながら、自社では「『セキュリティが不安』と専用端末に切り替える」では、セキュリティ確保という観点からすれば、クライアントをパソコンにしたシステム構築に説得力がなくなり、ユーザーの不安をあおることにつながるからだ。顧客としては、「日立がセキュリティ確保のためにパソコンを見切ったならば、いずれは専用端末が必要になるのでは」と考えるのも自然だ。

　グループ内には十分な情報が伝わっていない状況で、すでに顧客対応に困惑している声もある。日立グループのサポート会社にはユーザーから、「日立はパソコンをやめるのか、サポートはどうなるのか」という不安が伝わってきている。また、グループ企業のシステムインテグレータは、「専用端末の具体的な中身も聞いていない」と、静観するしかないようだ。

　日立グループでの評価が固まれば、日立はソリューションメニューとして顧客向けに〝本気〟でビジネスにするだろう。しかし、顧客の不安をよそに、日立グループのシステムベンダーでさえ、「情報がないので、どんな端末なのかもわからない」のが今の状況だ。

　今回の日立の決断を、セキュリティベンダーなどのセキュリティ関係者は、「非常に高いセキュリティレベルを確保できる取り組み」と好意的に評価する。これが本当ならば、「パソコンではセキュリティを確保できない」という日立の判断が大きな意味を持つことになる。ここから、「クライアントはパソコンでは駄目」という〝パソコン不要論〟が浮上し、日立がパソコン事業から撤退するのではないか、との憶測につながるわけだ。

　日立ではないある大手パソコンベンダーの役員は、「当面は2000台でしょ。それに日立グループ全体で導入するのにシステム構築などでどれほど時間がかかるか。業界や市場へのインパクトは薄い」と笑う。「専用端末が究極のセキュリティ対策というわけでもない」とも。

　日立は「パソコン事業から撤退しない」としており、専用端末導入が、手の込んだパソコン事業撤退の方便というわけではない。しかし、パソコン関連ビジネスを展開するグループ企業にとっては、疑心暗鬼のタネになっていることは事実。日立の専用端末導入は、「セキュリティを確保するためにはパソコンではダメなのか」という不安を生み出したとともに、自社では見切ったパソコンを、これからも売り続けるのか、という疑問を周囲に植えつけたといえないだろうか。(木村剛士●取材／文)