時の人

<インタビュー・時の人>日本シャトル 最高業務執行責任者 伊藤賢

2010/03/18 18:44

週刊BCN 2010年03月15日vol.1325掲載

 国内ベアボーンPC市場で、2007~09年の3年連続で販売数量シェア一位(BCNランキング)を獲得した日本シャトル。常に市場をけん引してきたと自負する同社だが、09年は、08年に獲得した圧倒的なシェア44.2%から27.5%にまで、大幅に数字を落とした。伊藤賢・最高業務執行責任者が「ディフェンス一辺倒の年だった」と振り返る09年。その真相と次へのステップを聞いた。

「09年のシェア1位は“奇跡”」
実店舗重視でシェア低下をV字回復させる

Q 09年が伸び悩んだ原因は?

 「安定が続いていたベアボーンPC市場にAtomというトレンドが生まれ、08年の後半に、ある台湾メーカーがAtom搭載のマザーボードを採用したベアボーンPCを、従来では考えられないような低価格で投入してきた。当社の同等製品は、たちまち価格で1万円ほど高くなってしまった。こうなると、ユーザーは安い製品に流れる。09年はAtom製品に限って急速にシェアを落とした」


Q 状況は打破できなかったのか。

 「危機を感じて本社(台湾)と交渉したが、価格そのもので対抗することはできなかった。Atomはパフォーマンスの物足りなさから、人気は一過性と踏んでいたのだが、甘かった。続けて映像関連の処理を高速化する『Atom+NVIDIA ION』を採用したマザーボード搭載モデルが市場に出て、Atomブームが再燃した。当然、『Atom+ION』モデルの投入を本社にかけ合ったが、この時点では実現しなかった」

Q それでは市場で戦うことができないのでは?

 「これには、内部の事情もある。09年5月に、シャトル本社の余宏輝社長が一線を退き、陳氏が代表の座に就いた。初めて外部の人間が役員になったことで、すべてが劇的に変わり、シャトルは大混乱に陥った。まったく先が読めない状態だった。そんななか、本社から「年内に製品在庫をゼロにしろ」とお達しがあった。あらゆる製品を値下げし、在庫を捌いた。1万円ほど落とした製品もあるほどだ。当社のシェアが10月から盛り返したのは、この緊急値下げのおかげだ。この年明けには在庫はゼロで、新製品もなかった。09年のシェア1位を獲得できたのは、奇跡に近い」

Q 2010年は2月までに投入した新製品は3機種だけ。価格は従来に比べて20%ほど安い。製品戦略が変わったのか。

 「従来のシャトルには、無駄が多かった。ラインアップが多すぎて個々の生産台数を伸ばせない機種が多く、どうしても単価が上がってしまう。独自のマザーボードに合わせた設計を採用していたので、他社製マザーボードと互換性がないというデメリットもあった。そこで新製品は、Mini-ITXマザーボードに対応した。他社の介入を恐れず、一般的なマザーボード市場からユーザーを取り込む狙いだ。さらには、マザーボードと電源の規格を社内で統一した。自社内で使い回せる仕様にして、部材在庫の不動化を抑える仕組みをつくった。アルミシャーシもやめ、スティールシャーシに変更することで製品価格を抑えた。10年は低価格モデルで勝負する」

Q 今年も販売台数シェア1位を狙うのか。

 「もちろんだ」

Q そのための販売戦略は?

 「09年の経験で、製品の取り扱い店舗数が売り上げに直結することを実感した。実店舗であれば、製品を知らないお客さんでも自然に目に入る。興味を示すお客さんには店員が説明してくれる。今年は取り扱い店舗を増やすため、これまで他社に比べて低かったインセンティブを引き上げる。デモマシンを、地方の店舗を中心に数多く設置する。1台でも多く製品を納品できるようにして、40%以上のシェア奪回を目指す」

・思い出に残る仕事

本社を台湾に置くメーカーでは、支社のリーダーは台湾人や中国人であることが多い。日本シャトルの前任代表が2007年に辞めたとき、伊藤氏は「台湾人の営業マンがリーダーを引き継ぐと思っていた」という。辞めることを覚悟した伊藤氏だったが、本社がリーダーに選んだのは彼だった。伊藤氏はそのときの気持ちを「衝撃的で、嬉しかった」と振り返る。支社の中で台湾人以外がリーダーを務めているのは日本だけ。「現地の人間には土地勘がある」と話す伊藤氏は、それを実証することを心に秘めて日々仕事をしている。だからこそ、就任年より日本シャトルはBCN AWARDを3年連続で受賞しているのだろう。

■プロフィール

いとう・けん■1978年、千葉市生まれの31歳。02年、ビデオカードメーカーのエルザジャパン入社。03年にPCケースメーカーのソルダムに移り、パーツセールスを経て、リテールPC事業の立ち上げに従事する。04年、日本シャトル入社。06年、マネージャーに就き、07年に最高業務執行責任者に就任。
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