旅の蜃気楼
成るか、博多移住
2013/07/26 15:38
▼山笠の宴のあとにはとても興味があります。私も会社を休んで様子を見に博多に出向きたいくらい。そんなことはできないよね、と自問自答しながら、博多移住計画を真面目に立ててみようと考えています。3年住めば、山笠の街・博多を堪能できると思うのです。統制の取れたあれほどの規模の祭りを772年の間続けてきた博多の街は、どのようにして一体感を醸成し続けているのか、体感してみたいのです。人口も150万人を超え、韓国、中国に一番近い大都市とあって、今後ますます交流が太くなって、経済成長も期待できます。
▼あの日、すべての山笠が櫛田神社を出て、桟敷席の見物客もいなくなり、静かな境内に戻った。せっかくなので、お参りをする。本殿のほかに13のお社がある。これを末社(まっしゃ)といいます。なかでも金運の神である「白龍権現社」を丁寧に拝んで、境内を出る。ぶらぶらと商店街を歩くうちに、飾り山笠が町内に戻ってきた。お祭りも終盤に差しかかる。
走る飾り山笠。最初に子どもたちが町名を書いた板を持って走ってくる
走る飾り山笠が町内に戻った。男たちの全身から湯気が立っている
▼博多には日本で一番古い禅寺がある。よし、行ってみよう。安国山聖福寺(しょうふくじ)。臨済宗妙心寺派で、1195年に栄西が創建した。栄西は「ようさい」とも呼ぶのですね。仮名漢字変換では「えいさい」と打ち込めば栄西に変換されます。こちらが一般的な呼び名なのでしょうか? ご存じの方は教えてください。
▼さて、櫛田神社から歩いてほどなく、お寺に着いた。見るからに重々しい門扉だ。玄洋社の面々との関わりも深そうだ。九州には、金印が出土するだけあって、歴史の厚みがある。感心しながら本堂に近づくと、扉が開いているではないか。中には数名の僧がいて、ロウソクが灯され、お燈明の用意をしている。徐々にその数が増え、最後に住職らしき立派な袈裟を掛けた僧が登場して、全員が揃ったようだ。お堂に線香の煙が立ち込めて、読経が始まった。
▼禅寺なので、読経の間、お堂の外で座禅を組ませていただいた。先頃出かけた飛騨の千光寺(真言宗)に続いて、最近はお寺に縁がある。お寺とのご縁も座禅程度にとどめて、それ以上に深くはならないでおこう。今回の座禅では、天女は舞い降りてこなかった。ちょうど45分間で終わった。痛い、痛い。多少痺れた足をゆっくり戻しながら立ちあがって振り返ると、オレンジのTシャツを着た白人の女性が、本堂への階段に寝そべりながらお堂の中を見ているではないか。距離が余りに近すぎて、驚いて「おっ」とのけぞった。若い人だった。(BCN会長・奥田喜久男)
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