旅の蜃気楼
近江商人の魂に触れる
2013/05/08 15:38
▼会長になって社業と完全におさらばしたわけではないが、気の持ちように余裕が出ている。緊張感というか、会社を見つめる目線が変わったというか、とにもかくにもいろいろな変化が身の回りに起き始めている。未知との遭遇だから、わがことながら興味津々だ。どうなるのだろうか。変化といえば、多くの方々にお会いするたびに、「会長になって何をするのですか」とか「楽になるのですか」と聞かれる。
▼実をいえば、どうなるのかを教えてほしいのはこちらのほう。「どうなるんですかね」と多少不真面目な答えを返している。5月になって会長就任の2か月目に入る。社長だった頃の切羽詰まったようなテンションは徐々に緩んできている。そのぶん、新社長の目つきが鋭くなってきているようだ。私でさえもゾッとする時がある。いいことだと思っている。社長と私のテンションを足すと、事業をカバーできる領域は以前よりも広くなっているはず。いいことだ。どのような会長になるのか、日々考えている。
▼そうだ、お寺を巡ってみよう。会長の役割とは仏像の光背(こうはい)みたいなものではないかと、漠然と考えていたからだ。社長が仏像で、会長が仏像の姿を浮かび上がらせるオーラ、というわけだ。オーラの役割とは何なのか。実際に仏像を拝んでみよう。かくして、ゴールデンウィークの前半に近江のお寺を訪ねた。
▼虎の巻は、白洲次郎の妻にして随筆家である白洲正子の著書『近江山河抄』『かくれ里』だ。まずはJR琵琶湖線・能登川駅で電車を降り、西武バスに乗り換えて石馬寺の停留所で下車。ゆっくり歩いて約15分。お目当ての石馬寺(いしばじ)に着く。石馬禅寺とも石碑にある通り、臨済宗妙心寺派の禅寺だ。山門跡の由来に聖徳太子とある。こりゃ古い。Google、Amazonの世界ではないぞ。歴史年表を古(いにしえ)までめくって古びた石段を昇ると、前方に鳥居がある。おや、ここは神社なのか? 右手に石馬寺がある。そうか、ここには神仏混淆の姿が残っているのだ。
▼唐突だが、話題を西武バスに転じる。新幹線で米原に到着して在来線に乗り換え、彦根の先にある駅で降りる。駅舎の前に西武バスが待っている。知らない人は「あれ?」と思うだろう。近江鉄道は西武グループの傘下企業だ。西武鉄道の創業者一族は近江商人で、ここがその生まれ故郷というわけだ。近江では、西武のライオンバスが山間の田園風景を借景にしながら走っている。近江鉄道が飛び地企業だからとはいえ、近江の里で育まれた近江商人のパワーをみる思いがする。それにしても、滋賀県は地味な県だ。琵琶湖は知っているが、さてどの県にあるのか。そこまでまではいかないとしても、影はかなり薄い。県というハードウェアは少し頼りないが、近江商人の魂というソフトウェアの力は強い。さて、“三方よし”の近江商人パワーを体感してこようか。(次号に続きそうで続かない?)(BCN会長・奥田喜久男)
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