旅の蜃気楼

オリオンになった大切な仲間

2009/11/19 15:38

週刊BCN 2009年11月16日vol.1309掲載

【山梨発】襖を隔てた隣の部屋に人の気配がした。すぐ“彼”だと分かったので話しかけた。「これまで通り、原稿、書いてよね」。返事はすぐ来た。「書きますよ」だった。表情はいつもの機嫌がよい時の、多少照れ気味の笑顔だった。そして、わずかな瞬間に気配がなくなった。すると目の前に原稿が2本、置かれた。手書き文字で、びっしり書かれていた。見慣れた文字だ。見出しは「の覚へ」とあった。「」とは「喜」の略字で、「喜久男」の一文字だ。そんなことを思い、まどろむうちに目が覚めた。そうだ、これは夢なんだ。

▼11月7日朝、甲府駅前のバス停から乗り込んだ登山者はわずかで、車内は空席ばかりだ。広河原まで2時間、広河原でマイクロバスに乗り替えて、さらに25分、北沢峠に向けて細い山道を走る。山の斜面は冬の始まりを告げている。秋枯れ模様の隙間に見える山肌を伝って落ちる細い滝は凍って見える。このバス路線は8日が今年の最終便だ。来年は南アルプスの山を歩いてみよう。その下見だ。これまで何人の人がこのバスで南アルプスの山に入ったであろうか。そのうちの一人に田中繁廣さんがいたはずだ。

▼田中さんとの出会いは、コンピュータ・ニュース社(現BCN)の創業以前に遡る。事務機の業界紙で一緒に仕事をした。私を含む4人の記者が記事を書いて、彼が編集して新聞を毎週作る。20代の頃の話だ。この時、私に山の楽しみを教えてくれたのが、6歳年下の田中さんだった。身体を壊した私は40代から山歩きを始めた。山から帰って、田中さんにその話をすると、「甲斐駒、かっこいいっしょ」。甲斐駒ケ岳のことだ。冒頭の夢は甲斐駒の肩を仰ぎ見る北沢駒仙小屋で見た。BCNの創業メンバーで、役員として皆さまに大変お世話になった田中繁廣は、7月4日に旅立ちました。享年55、BCNの役員を辞任して1週間後でした。この不幸な出来事をしばらく経ってから知り、いまだ心の置き場がないまま、山で出会えました。月がこうこうと輝き、オリオン座が見えました。業界の皆さまにお伝えすると同時に、彼へのご厚情を感謝申し上げます。大変お世話になりました。(BCN社長・奥田喜久男)

小仙丈ヶ岳から望む甲斐駒ケ岳。田中繁廣さんの「かっこいいっしょ」という声が聞こえてくる
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