旅の蜃気楼

それぞれの街で感じたエネルギー放射

2009/09/30 15:38

週刊BCN 2009年09月07日vol.1299掲載

【本郷発】国民が、政治の舵を大きく切った。この現象は、私たちを取り巻く生活環境、就労環境、事業環境が、我慢強いとされる日本人の限界値を超えていることの現われだ。こうした時、自分に言い聞かせる言葉が二つある。その一つは、「変えねばならない事と、変えてはならない事がある」。もう一つは、「自分はどこに立つのか」である。判断は自分の立ち位置でがらりと変わるからだ。どの位置に自分を置くのか――これについてはいつも、大きく深く迷う。迷った時は全国各地を旅しながら、いろいろな人の生活する姿を見聞きして、立ち位置を決めることにしている。この週末は、博多、京都、名古屋の街を一挙に歩き、富士登山を無事に終えて下山した山仲間の話も聞いた。

▼博多は、明るい街だ。「大名」という区画がある。ここには若者が集まっている。通りには、こじゃれた店がずらりと並んでいる。客も店員も同じ世代の若者が多く、彼らが放つエネルギーが充満している。この充満ぶりは何かに似ている。そうだ、“祭り”のエネルギーだ。

▼京都は鞍馬寺の山を2時間ほど歩いた。叡山電鉄鞍馬駅から由岐神社、奥の院魔王殿、鞍馬寺西門、貴船神社、貴船口駅。このコースは気軽に歩ける。だが、山の気配は南アルプス並みだ。足腰も十分に疲れます。牛若丸伝説を今に伝える気配をこの山は持っている。あいにくの雨だ。それでも若者たちは楽しげに歩いていた。名古屋は栄を歩いた。「にっぽんど真ん中祭り」は若者の祭だ。ただ、シンボルのテレビ塔がこんなにも小さいのかと驚いた。新しいランドマークが必要と思った。

▼富士登山は大変なブーム。それも若者が中心だ。山小屋は布団1枚に二人のスペースと狭いが、それでも登山ブームは若者を中心に広がっている。人間は、“思い”が共鳴する同類が集まる。エネルギーは集まるほどに力をもつ。新しいエネルギーが結集し始めているのは間違いない。明日に向けて前に進もう。(BCN社長・奥田喜久男)

名古屋のシンボルが意外にもこぢんまりしているのに驚いた
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