旅の蜃気楼

山に登って“結界”の是非を問う

2008/10/20 15:38

週刊BCN 2008年10月20日vol.1256掲載

【秩父発】西武池袋線飯能駅から秩父に向かってさらに電車に乗る。左右を山に囲まれた線路を電車はひた走る。つい最近、彼岸花を見に行った高麗駅はすでに通過し、山は少しずつ高くなる。正丸峠のトンネルを抜けると、ぽっかり山あいの盆地ができている。芦ヶ久保駅だ。駅から大きな仏像が見える。正座して、お迎えしてくれる。ここは果樹公園で、山すそから中腹に向けて、果樹園が広がっている。ここに「道の駅」ができたのは4年ほど前のことだ。

▼道の駅ができる前の話をしよう。国道299号から駐車場に入る道の脇に、山小屋風の小さな木造の建物がある。「芦屋」という豆腐屋だ。ここが以前の直売所だった。芦ヶ久保で採れた野菜、果物を持ち込んで販売していた。道の駅の建設中から見ていたから、今の賑わいは隔世の感がある。山は果樹公園側にもあるが、いつも登る山は秩父に向かって左側にある。駅舎を出て、秩父方面に歩くと、線路下を通り抜ける暗いトンネルがある。徒歩3分ほどの距離だが、ほんとに暗い。登山者が少ないのはこの暗さのせいではないかと思える節がある。

▼そこを通り抜けると、雰囲気が急激に“山”になる。ここから始まる山道は、双子山、焼山、武川岳に続いている。登りが何度も続く、きつい山だ。その分、沢筋を登るから、せせらぎの音が心を癒してくれる。途中に斜面が急で、つるつる滑る箇所もあって、真剣に登るうちに、頭の中は空っぽになる。登りきったところで、「やった!」の気分に満たされる。その急な坂を下山するときだ。楽しげで少し賑やかな単独行の登山者とすれ違った。突然、携帯が鳴った。本人は「シルバー登山者」と言っていたが、着信音は若者風だった。「せっかく仕事のことを忘れていたのに、携帯がつながっちゃったよ」と不満そうなそぶりを見せた。4年前、この山の奥で携帯はつながらなかった。文明は山あいにまでどんどん迫っている。結界という言葉がある。暗いトンネルが結界の役目をしているが、電波に結界はないようだ。便利がいいのか、不便がいいのか。都合のいいのが一番だと思う身勝手な自分もいる。とはいうものの、結界も大事だ。(BCN社長・奥田喜久男)
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