旅の蜃気楼

故郷の味は、甘いか苦いかしょっぱいか

2008/07/14 15:38

週刊BCN 2008年07月14日vol.1243掲載

【岐阜発】子供のころに雑種の小さな犬を飼っていた。名前は「ポチ」。男ばかりの三人兄弟で、私は末っ子。13歳で母親をなくし、深い悲しみはその後も長く続いた。14歳の時、父が再婚し、26歳の時にその父も亡くなった。親に縁の薄い子供ということになる。父の遺産相続に際して、継母から提案を受けた。「遺産相続をすべて放棄してほしい。そのかわり、今後の生活は面倒を見てもらわなくてもいい」。この時、継母とは養子縁組のないことを知った。だいいち、「養子縁組とは何か」さえも知らなかった。育ての母のこの提案に兄弟はそれぞれの思いを心に刻みつけた。

▼時は流れて33年後の7月4日21時32分、継母は旅立った。86歳。そこから忙しい2日間が始まった。葬儀場はどこなのか?喪主は誰か?納骨はどのお墓なのか?誰に連絡をするのか?などの一般的な決め事がすぐには決められない状況にある。継母の世話は甥がしていたから、取りまとめはその人が行った。場所は岐阜斎場梅林。喪主は継母が20代のころに嫁ぎ、その家に置いて別れた実子の女性だ。その方も養子縁組をしていない継母がいて、父親は先に亡くなり、今はその母親の老後の面倒を見ている。さて継母の納骨はどこになるのか。

▼私の父は関東大震災で親を亡くし、身寄りがないので国鉄職員のおじの家に引き取られ、育てられている。いやはや、ややこしい家族関係だ。父はお墓を作って、育ての親と私の実母と一緒に入っている。墓石の壁面には、後添えの戒名が刻めるように余白がある。父親が生きていれば問題も起きないのだが、33年の間に、3人兄弟の心はそれぞれに変化した。長男と次男は継母との距離をあけた。次男は葬儀も香典も敬遠した。長男は仏壇、位牌など先祖を供養していることから、葬儀に参列した。納骨も承諾した。私は本を読みこなすことを育ての親に教えられた。そのおかげで今の自分がある。だから家族総出で見送った。納棺では遺体に頬を寄せて、感謝の念を表した。車窓から兄と並んで金華山を見ながら帰路についた。ポチの死が最初の別れだった。今もその時の戸惑いを覚えている。故郷とは、五目御飯のような複雑な味がする。(BCN社長・奥田喜久男)
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