旅の蜃気楼

腹を割って話せる仲間のありがたさ

2008/06/16 15:38

週刊BCN 2008年06月16日vol.1239掲載

【本郷発】九州からの帰りの飛行機の中で「秋葉原無差別殺害事件」のニュースを知った。私たちが日ごろ親しくしているITや家電業界の方々が被害に遭われたのではないかと、冷や汗が出た。機内では電子機器の使用を禁じられている。やきもきしながら羽田空港に着陸するまでの間に、いろいろな人の顔が浮かんだ。何はさておき、被害に遭われた方々のご冥福をお祈りしつつ筆を進める。

▼秋葉原を知ったのは社会人になってからだ。それまでの私は神職になるべく伊勢で神道を学んでいたから祝詞と笏に縁があっても、電気製品には無縁であった。電波新聞の雑誌編集者として勤めだしてからは、取材でよく訪れた。今は秋葉原のビルをオフィスの部屋から眺めながら仕事をしている。社会の入り口には重要な意味があると、いまさらながら思う。

▼社会人のスタートは1971年だ。この年代は今年、還暦を迎えるから、仲間は定年退職のラッシュアワーだ。前々から、山好きの仲間と「定年になったらミヤマキリシマが満開になった九重の山々を登ろう」と約束していた。彼、Mさんと出会ったのは1973年のことだった。東芝で電算機の営業を担当していた。ここはあえて“電算機”と書く。もちろん当時もコンピュータといったが、電算機事業の言葉に時代感覚が封入されているからだ。Mさんを知ったのは電算機事業部の広報担当者、Tさんの紹介がきっかけだ。Tさんは回り回って、つい最近まで東芝不動産の社長を務めていた。MさんとTさんは同期入社で同じ寮仲間だ。それに趣味が山登りだった。時は流れてTさんは今、ゴルフ三昧だ。そこでMさんは山の相棒に私を選んだというわけだ。今回は山の案内人が一緒だった。電算機営業時代の仲間で九州の実家に帰った松永誠さん(写真左)だ。彼は東芝山岳会のOBで、57歳の年齢にもかかわらず、3人分の食料を小屋まで持ち上げる元気さだ。仲間の味わいをじっくり楽しみながら、福岡空港から帰路についた。そういえば、Mさんたちと出会ったのは今回の事件の犯人と同じ年頃だった。彼には話ができる友達はいなかったのだろうか。腹を割って話せる仲間はなにものにも替えがたい宝だ。(BCN社長・奥田喜久男)
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