旅の蜃気楼

新しい年の“雪山賛歌”

2008/01/14 15:38

週刊BCN 2008年01月14日vol.1218掲載

【西穂高発】槍平小屋。岐阜県側から聳え立つ槍ヶ岳を見上げる壮観な場所にあるのがこの小屋だ。見上げるばかりではつまらない。夏道を歩いて土地勘を付け、状況を把握して冬の山行に備えるのが常だ。お正月に槍平小屋の脇にテントを張った山の仲間たちが雪崩に飲み込まれた。起こるはずのない、痛ましい事故だった。

▼雪山の美しさは、格別だ。頂上から山を見渡すと、真っ白な起伏が幾重にも続いている。樹林帯に入ると、木の枝に降り積もった雪のオブジェがあちらこちらにできる。夜のうちに降り積もった雪が小さな枝に“ふわっ”とまつわりついている。なんとも、いとおしいではないか。早朝、雪の斜面に朝日がさして輝く。ぶるぶる震えながら、山小屋に急ぐ。小屋の屋根は雪でこんもりしている。そんな山小屋の脇に彼らはテントを張ったのだ。

▼山の専門誌はこうした情景を記事にして、お茶の間の読者に“山の空気”を届けている。そんななかに『山と渓谷』(通称“ヤマケイ”)という雑誌がある。創刊は1931年5月。日本の登山史そのもので、老舗の雑誌だ。それが2006年12月に、インプレスの資本参加で、最先端のIT関連出版社のファミリー雑誌社となった。さっそく、旧知のインプレス・グループ代表・塚本慶一郎さんに挨拶に行った。山仲間の声を伝えに行くためだ。「“ヤマケイ”を廃刊にしないでほしい」。塚本さんは太めの身体を少し揺らしながら「そんなことは絶対にありませんよ」。まずは一安心。次に、いつもの笑顔で「ところで、奥田さん、山の雑誌を売れるようにするには何が必要ですか」と、鋭い切り返しがきた。「核心をつかむには、山に登ることですよ。アスキーを創刊した時も、塚本さん自身がパソコン大好き青年だったでしょ」「えっ!?僕が山に登るんですか?それは絶対にないなー」。二人で大笑いをした。

▼その後、幾度か連絡をとるうちに、塚本さんは病に倒れ、現在闘病中だ。手術は成功して、リハビリ中という。早く良くなって現役復帰してほしい。元気な塚本さんに会ったら、山登りに誘ってみよう。山に登るといつも思う。一歩一歩しか進まないんだよね。(BCN社長・奥田喜久男)
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