旅の蜃気楼
心の襞を読みとる“翻訳家”との別れ
2007/09/24 15:38
週刊BCN 2007年09月24日vol.1204掲載
▼東京・湯島の場末に「岩手屋」という居酒屋がある。“奥様公認酒場”という赤提灯が吊り下げられているから、すぐわかる。この店の止まり木で言葉を交わしたことのある偉大な人が、先月26日に亡くなった。日本文学の研究者で『源氏物語』を英訳したエドワード・G・サイデンステッカーさんだ。この店では“ステッカー先生”と呼ばれ、親しまれていた。
▼湯島に居を構え、この界隈で落語、日本酒、クサヤ、糸引き納豆をこよなく愛した人だ。カウンターでいつも一人で静かに杯を重ね、日本人の親友と出会って一杯やるのを、楽しみにしておられた。そんなときは柔和な表情でとっつきやすい。ところが、初対面の頃、もう20年ほど前になるが、外国人だと思って、英語で挨拶したことがある。すると「あなた、日本人でしょ、日本語で話しなさい」。藪から棒に、きつい口調でたしなめられた。以来、それがトラウマになって怖くて、椅子をひとつ空けるようにしていた。ほんとに怖い人だったのだ。
▼先生の訃報を知ったのは28日だった。その夜、岩手屋に駆けつけた。常連客のカメラマンが先生の遺影を持参した。いい顔だ。7年前にお馴染みさんと隅田川の船遊びで撮ったものだ。柔和だ。しかし目は眼鏡越しに人を射抜いている。この目が怖い。心の襞をすべて読みとる目なのだ。その夜、『湯島の宿にて』という随想集を手渡された。1976年、蝸牛社刊。先生の50代の作品集だ。完成された創造物だ。源氏物語について、三島由紀夫の死、川端康成の死について。鋭角的な人物描写が展開されている。そのすごさに、思わず「これ×3」と叫ぶ。噛み締める言葉があまりに多い。思い切って切り取れば、「大事なことと大事でないことを区別する知恵」となる。人というのは、自分という他人の、唯一にして専属の翻訳家なのだ。いい人との出会いに心から感謝したい。(BCN社長・奥田喜久男)
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