旅の蜃気楼

岩場に青春を捧げた若者たち

2007/09/10 15:38

週刊BCN 2007年09月10日vol.1202掲載

【穂高発】ありがたいことに、この欄をご愛読いただいている方はけっこう多い。熱心な読者のなかには、「元気で、よく遊んでおられますねぇ」などと、励ましのメール(と受け取っています)も送っていただく。本人はいたって真面目に働いているつもりなのですが…。でも、やはり脚は山に向くようで。

▼乗鞍岳の五色ケ原の美しさに魅せられて、北アルプス通いが続きそうだ。西穂高~奥穂高~槍ヶ岳に伸びる尾根の西側が岐阜県、東側は長野県だ。尾根一本で山域の姿はがらりと変わる。東側は人気スポットの上高地だ。バスセンターから河童橋の一帯はまるでデパ地下状態。それとは反対に、西側は静かなもので、うっそうと繁った樹林帯の中を、沢の音を聞きながら、ひっそりと山道を歩くことになる。出発地は新穂高温泉だ。西穂高に上がるロープウエーの乗り場を左に見て、右俣林道を歩く。奥へ奥へとひたすら詰める。緩い登りなのに、テンポが悪い。どうもお腹がすいているようだ。駅で買った大好物の“みたらし団子”を3串食べる。ようやく調子が出始め、気分も高揚してくる。身体の構造って単純だな。

▼右俣林道を詰めると、穂高平小屋、白出沢出合、滝谷避難小屋、槍平小屋へと続く。以前からこのルートに来たかった。滝谷を見たかったからだ。井上靖の『氷壁』に登場したこともあるが、もっとも危険な岩登りのルートとして、谷川岳・一の倉沢と並んで、有名な岩場だ。大正から昭和にかけて、この岩場に青春を捧げた若者たちがいた。何が彼らを魅了したのか。岩と格闘する若者のインセンティブは何だったのか。それに触れてみたかったからだ。

▼滝谷への道はよく踏まれていて固い。確かに人の気配はする。だが、最近のではない。滝谷避難小屋が見えた。コンクリートブロックでできた堅牢な小屋だ。中に入る。暗い。煤臭い4畳半ほどの部屋だ。目が慣れてきた。薄暗い壁に遭難事故者の情報を求めるチラシが見えた。ザイルとスリングを肩がけにしたヘルメットの姿だ。「いい顔、してるな。29歳か。若いなあ」。足取りがつかめなくなったのは昭和55年1月28日。彼は今も輝いている。滝谷はガスに覆われていた。(BCN社長・奥田喜久男)
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