旅の蜃気楼
盧溝橋の石獅子は何を見てきたか
2007/04/09 15:38
週刊BCN 2007年04月09日vol.1182掲載
▼「中国人は小学校1年生から『七七事変』(盧溝橋事件)を学ぶので、盧溝橋は日中戦争が勃発した場所としてもよく知られる歴史教育の場所だ」。北京生まれのフォト・ジャーナリスト、于前(YU QIAN)さんはasahi .comの記事『盧溝橋の石獅子』でそう書いている。その文章には前文がある。「800年近くの歴史を持つ盧溝橋は、かつての有名な燕京八景の一つでもある。北京の諺に『盧溝橋の石獅子(こま犬)の数は数えきれない』というのがある。夕方、橋のたもとに立つと、斜陽が西に沈んでいく。艶やかな月光の中、恋人と散歩しながら石獅子の数を数える。乾隆帝の御書『盧溝曉月』の四文字が彫られている東側の石碑で記念写真を撮ったら、どんなにロマンチックだろう」。盧溝橋は今も当時のまま残っている。800年の間、欄干の獅子たちはどれほどの出来事を見てきたのだろう。
▼盧溝橋は南方から北京につながる軍事要所だ。橋を渡ると城壁に守られた街がある。その一角に『抗日戦争記念館』がある。城壁の脇には中国全土から集められた、日本軍が殺戮事件を起こした記録を刻んだ1メートルほどの石塔が100個ほど並んでいる。この一帯に中国の意思が吹き込まれている。記念館を見学するのは2度目だ。1842年8月9日、清朝はイギリスに負け、南京条約を結んだ。清朝は1911年の辛亥革命で滅亡する。1914年、漢民族の孫文は中華革命党を結成し、1919年に中国国民党に改組、台湾の流れとなる。一方、毛沢東らは1921年、中国共産党を結成。1949年、中華人民共和国成立。そして現代へと続く。抗日戦争記念館は1921-49年の間の中国史を刻んだ記念館だ。この29年間は中国共産党の根幹といってよい。抗日は当時の全中国人が掲げた目標だ。戦争は政治の究極である。政治は掲げた目標を遂げるために合従連衡策をとる。そこには固定した敵味方の観念はない。紫禁城のスタバ、盧溝橋をじっくり味わってほしい。(BCN社長・奥田喜久男)
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