旅の蜃気楼

嗚呼、東京マラソン

2007/03/19 15:38

週刊BCN 2007年03月19日vol.1179掲載

【本郷発】少し古い話題ですが、「東京マラソンは成功だった」と思っているひとりなのです。ところが「反対だ」という意見も聞くので、応援に行った人に感想を聞いてみた。「もう、感激!」と満面の笑みを浮べ、来年も応援に行くそうだ。1月が「箱根駅伝」、2月が「東京マラソン」と月例でマラソン愛好家が楽しむ行事が首都東京にできた。これでもっと街がきれいになるといいな。電線を空中からなくしてほしい。今の東京は、まるでくもの巣に引っかかった街並み状態だ。文化がほしいな。

▼本題に戻そう。実際に東京マラソンを走った人に、感想を聞いてみたいとずっと思っていた。BCNの社内にも、数年前に「ホノルルマラソン」を完走した精鋭がいるのだが、現在は膝の靭帯を痛めて、リハビリ中だとか。しかし、ついに出会うことができた。手嶋雅夫さんがその人だ。1957年生まれ、マクロメディアの元社長、アルダス、サムシンググッド、博報堂と、多彩な経歴だ。02年に一念発起して、マラソンを始め、今では、東京マラソンのフルコースを、4時間45分で完走するほどのアスリートだ。「13キロは落としましたね」。体重の話だ。彼に尋ねた。「皇居を何周も走っているんですか」。ここで間髪をいれずに「その質問は素人ですね。プロはアップダウンのコースを往復して鍛えるんです。一周はしません」との答え。この会話の応酬が手嶋さんらしかったので、体型は変化したが、中身はそのままだと、嬉しくなった。

▼手嶋さんは神戸大学の学生時代、甲子園球場でビール売りのバイトをして、販売高トップでバイトグループのボスとなって学費を稼いだ人だ。よく売った秘密を聞くと、「バイトの初日は何もしないで、一番売っている人を見つけ、その人がなんで売れているのかを探った」。2日目からその方法で売った。売れた。バイト集団を編成した。バイトを組織化し、リーダーになった。それから後も手嶋さんが参加する世界は「勝ち組」が多い。この目利きは一流だ。ここに掲載した写真は手嶋さんに携帯で写した姿を送ってもらったものだ。嬉しそうですね。じつは20キロあたりから雨にやられて足裏が水ぶくれ状態になり、苦痛の後半をだましながら走ったそうだ。「つらかった。でも、もう一度走りたい。街を内側から見るのはすばらしいですよ」。(BCN社長・奥田喜久男)
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