旅の蜃気楼

ネットの中に感じる「気配」

2007/02/26 15:38

週刊BCN 2007年02月26日vol.1176掲載

【本郷発】「すごいねー。あの会はすごいよ。もっとスポットライトを当てていく必要があるね」。2月17日から3日間、IPAが主催する「未踏ソフトの発表会」があった。NPO法人ITジュニア育成交流協会の高山由理事長は津山高専・システム研究部の井上恭輔さんの発表を聞くために参加した。井上さんの発表内容のすばらしさに会場は拍手の渦だ。「もちろん、発表の内容はいいよ。そればかりでなく、質疑応答の様子が普通とまったく違う」。質疑する参加者は発表者と同じソフト開発者。「だから、質疑と応答が対等なんだ。意地悪な質問もあるよ。だけど、開発の着眼がいいところは、褒め称えたりもするんだ。こんなのほかであまり見ないよ」。この感動が冒頭の言葉となったのだ。

▼井上さんの開発テーマは、人と人のつながりをネットの中で再現しようとするものだ。人の社会で普通に行われていることは、すべてネットの中で再現できる、と確信しているふしがある。彼は不思議なことを言う。「ネットの中には人が行き来している。人に気配があるように、ネット内でもその気配が感じられるはずだ」。なるほど、そうかもしれない。では気配って何だろう。“五感”を超えた“六感”あたりの話題を持ち出さないと、つじつまが合わないことになる。

▼1980年代前半の出来事を思い出す。当時はパソコン時代の黎明期。どの会社も、パソコン事業の関係者は、“夢”見がちな人ばかりだった。そうした開発者の一人が語った。「切羽詰っているときに、パソコンがどうしても動かないんですよ。困り果てたあげく、近くにあった神社にパソコンを持ち込んでお祓いをしてもらった。動きましたよ。ほんとに動いたんです」。不思議な話なので、何度も問いただしたが、あまりに真顔なものだから真偽のほどは決着をつけないまま、今に至っている。この神社は東京中野にある氷川神社だ。この話を聞いて、参拝に行ったので記憶に残っている。いい感じのお社だった。ご祭神は須佐之男命。この神様はネット時代にご利益があるのかしら。いい感じとは“気配”でもある。この力はいったいどこから湧いてくるのだろうか。(BCN社長・奥田喜久男)
  • 1