旅の蜃気楼
山頂の“聴望”を楽しむ
2007/02/05 15:38
週刊BCN 2007年02月05日vol.1173掲載
▼少し古い話になる。日経新聞2001年2月12日の文化欄に掲載された記事を話題にしよう。鍼灸師の金山広美さんは30代半ばで視力を失った。その頃に視覚障害者のための山岳会「六つ星山の会」に入った。初山行は埼玉県の日和田山だ。晴眼者がパートナーとなった。パートナーのザックに取り付けた紐を片手でつかみ、残る手に白杖を持って歩く、といった内容の記事だ。山登りのつらさはわかっている。一人でもつらい。それなのに視覚障害者のリードまでする山仲間がいることに感動した。
▼昨年末、上高地に入った。大正池ホテルに宿泊して、西穂山荘に抜ける尾根ルートを登った。すでにトレースはついていた。雪は膝上だ。斜面がきつくなると、腰あたりまでのラッセルとなる。1時間ほど登ると、二人の下山者が見えた。遅い足並みだ。後ろの人がときどき、ふらついて見える。どうも変だ。近づいてくる。後ろの人が前の人のザックに手をかけている。そこで視覚障害者登山だと気がついた。彼らの足並みはゆっくりだ。すれ違うとき、道を譲ってくれた。ストックで身体を支えながら、待ってくれた。「こんにちは」という二人には体中に楽しさがみなぎっていた。登り優先という山のルールに従ったわけだ。すれ違って、後ろを振り返った。ザックの紐をつかんで歩く。雪の急斜面を下っていく。前の人は「段差あり、右足をゆっくり」とリードする。後ろの人は揺れながらストックで体を支えながら歩く。なんとすばらしい光景か。その姿に涙が溢れた。下山して、金山さんの記事を読み返した。見出しは『雲海の彼方“聴望”開けた』だ。「私の目には眺望は映らない。でも“聴望”なら耳に届く。周りにある圧迫感が完全に無くなって、ずっと遠くまで音が突き抜けていく気がした。はるか彼方まで見渡せる展望を、空気の動きと音の感覚で耳に教えてくれたのである」。いつかパートナーを務めよう。(BCN社長・奥田喜久男)
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