旅の蜃気楼

『アサパソ』のDNA

2006/03/13 15:38

週刊BCN 2006年03月13日vol.1129掲載

【本郷発】皆さんそれぞれ、お気に入りの本や、いつまでも身近に置いておきたい本があるだろう。私の場合は、「子連れ狼」の最終回を掲載した週刊『漫画アクション』、『ニュートン』竹内均編集長の追悼特集号などだ。

▼さて、新入りが誕生した。『ASAHIパソコン』(アサパソ)終了号だ。真っ赤な表紙を見たとたん、「いい表紙だな」と感心。もっと早くこの調子をつかむことはできなかったのかなと思ってみたり。88年11月の創刊号から18年間に及ぶ「パソコン産業史」を見たとたん、これは捨てられない本だと決めた。なぜなら、その歴史のすべてを週刊BCNも同じように報道してきたからだ。

▼アサパソとの思い出を記そう。まずは学生登山家・山田淳君との出会いだ。彼は7大陸の頂上を制覇している。最後のエベレストでは頂上にThinkPadを持ち上げた。電源を入れてOSが立ち上がるのを確認した。8848メートルの頂上によくぞパソコンを持ち上げたと思う。きつい高所登山で食料と酸素ボンベ以外のものを、よくぞ持ち運ぶ気になったものだ。その理由は「頂上でパソコンがどこまで起動するか実験したかった。一人がやれば、次の人はそこからスタートできるから」という。立派だ。いずれは頂上から携帯電話で友人と話ができる時代が来る。もしかすると宇宙を旅しながら、地球の友人と話をするほうが早いかもしれない。

▼次は第3代編集長の三浦賢一さんだ。直接の面識はないが、三浦さんと大学の仲間だった人に、ジョルダン社長の佐藤俊和さんがいる。乗り換え案内のソフトで株式公開を果たした。佐藤さんは一見すると内気でこもりがちなまじめな技術屋といった印象の方だ。実際、そうだと思っている。ところが、ある出来事を境にして、アグレッシブな技術畑の経営者に変貌した。佐藤さんは言う。「僕の友人に、アサパソの編集長がいるんですよ。学生時代からの親しい仲間で、彼つい最近、突然、死んじゃいましてね。人間、はかないですね。彼の分まで生きようと、生き方変えるんです」。会社はその数年後に公開した。アサパソのDNAは次に引き継がれている。(BCN社長・奥田喜久男)
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