旅-経営者の目線-
<旅-経営者の目線->101.南オセアニアの旅-(4)マダン・ラバウル1
2005/05/30 15:27
週刊BCN 2005年05月30日vol.1090掲載
翌27日6時30分、目を覚ましたらパプア・ニューギニアの陸地が右手に見えていた。しばらく沿岸を航行し、12時マダンに入港。15時15分マダン空港を離陸、晴天のなか、ビスマルク海を越えて午後5時、新ラバウル空港に着陸した(この空港は日本の政府開発援助によって建設された)。
ラバウルはニューブリテン島の東端にあり、第二次世界大戦では日本軍が開戦翌年の1月に進駐した。南方作戦の重要拠点で、今村均司令官以下陸海軍将兵11万5000人が駐留し、島内に縦横のトンネルを掘って永久要塞化した。トンネルは想像を絶する壮大で堅固なものであった。圧倒的多数の米軍機に対してラバウル航空隊は果敢に戦い、勇名を馳せたが、戦局が悪化して後方に転進した。
その後米軍はラバウル攻略を避けて、ペリリュー島攻略と、ラエ、マダンの攻略に向かい、その後フィリピンのレイテ島に上陸した。その結果、ラバウル守備隊は自給自足をしながら終戦を迎えた。
現在のラバウルは人口10万。1994年に火山が爆発して市街地のほとんどが2メートルの降灰で埋まった。住民は近くのココポに移り、ここが新しい街として発展している。その上、3日前の1月25日からタウルア山(日本名、花咲山)が爆発して噴煙を吹き出している。思いもよらぬ幸運に感謝。
新ラバウル空港からラバウルのホテルまでの道は山際に無数の洞窟が掘られていた。その夜、バイニング族による野外ファイヤーダンスが行われ、単調な踊りが延々と続いた。
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