旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->96.奄美と沖縄の旅-(3)戦跡巡り

2005/04/18 15:27

週刊BCN 2005年04月18日vol.1085掲載

 沖縄の戦跡巡りをしていつも感じることは、この戦いの空しさであり、やり場のない悲哀感である。当時陸海軍は連戦連敗で制空権、制海権を失い、3月10日には東京大空襲をうけた。敗戦必至という状況のなかで、4月1日沖縄戦が開始された。この後8月15日までの悲惨な推移を思うと、遅れた終戦に胸が痛む。民間人を含めて23万余人が戦没した。そのなかには鹿児島県知覧や鹿屋から特攻出撃して自爆した多くの若者達もいた。それらの霊安かれと心から哀悼の意を表したい。

 摩文仁の丘。嘉数高台の激戦に敗れ、南端の摩文仁の丘まで後退し、ここで最後の攻撃を挑んで散華した守備隊終焉の地である。明るい太陽と青い海に囲まれた断崖の美しさが、一層悲惨な戦いを際だたせる。摩文仁の丘の広大な敷地には魂魄の塔をはじめとして、平和の礎や各都道府県の将兵の死者を祀る慰霊碑など、さまざまな塔・碑が点在している。牛島中将自決の司令部壕や避難壕なども現存している。

 ひめゆりの塔。若い女子学生が従軍看護隊として動員され200余名が命を落とした。ここにひめゆり隊の職員や生徒が祀られている。訪れる人が多く、線香や献花の絶えることがない。

 海軍司令部壕。大田海軍中将が自決した豊見城の地下壕で、生々しいその内部が公開されている。

 戦後60年、焼け野原だった那覇は国際通りを中心に奇跡の復興を遂げた。鉄道がないので渋滞が酷かったが、2003年にモノレール「ゆいレール」が那覇空港と首里間に開通し、渋滞が緩和され便利になった。
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