旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->63.南紀巡りと高野山の旅-(1)白浜・串本

2004/06/21 15:27

週刊BCN 2004年06月21日vol.1044掲載

 1999年11月初旬、早朝羽田を発ち、関西空港を振出にして南紀と高野山を一巡、再び関空に戻り、羽田に帰着した。

 和歌山城の城郭に近づいたが、城内には入らず、目指す太田古戦場に向かった。秀吉が根来寺を焼き討ちした後、この太田城の攻略に手を焼き、遂に水攻めにした。攻防1か月、武将51人が自刃して城を明け渡し、兵民5000人の命を救けた。備中高松城の水攻めとは違った悲劇の古戦場である。6キロメートルに及ぶその堤防の一部が残っており、そこに登った。しかし余りに変わってしまって当時の様子を偲ぶべくもなかった。

 名刹紀三井寺は古くから和歌の浦の景勝地として名高い。道成寺は歌舞伎にでてくる安珍清姫の伝説で知られ、今も住職が軽快な語り口で聞かせてくれる。

 日の岬は紀州最西端にある半島の岬で海抜200メートル、紀伊水道に面している。太平洋と瀬戸内海が一望できる雄大な眺めに思わず息をのむ。日の岬灯台は77年(昭和52年)から無人化され内部に入ることができなかった。

 白浜温泉に1泊。有馬、道後などと並ぶ最古の温泉地として知られ、南紀を代表する大温泉地である。近くに平盤な千畳敷や柱状節理の段差が続く三段壁と、丸い洞門がある円月島があり、見どころになっている。

 串本は南紀屈指の漁港である。串本町の北東端の海岸から大島に向かって、大小40の奇岩が一直線に立ち並ぶ橋杭岩の不思議な景観は大自然の驚異である。半島西南端の潮岬灯台は本州の最南端であり八丈島とほぼ同じ緯度になる。1870年(明治3年)に初点打され、以来海の難所熊野灘を照らし続けている。
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