旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->49.中山道の宿場-(1)洗馬・塩尻峠・下諏訪

2004/03/08 15:27

週刊BCN 2004年03月08日vol.1030掲載

 2002年5月に諏訪のS社を訪問した折りに、長年の希望であった旧中山道の洗馬から望月迄、信濃の七宿を訪ねることができた。その一部は既に何度か訪れたことがあるが、今回はS社の好意で郷土史研究家の蟹江氏に案内して頂き、見たいと思っていたところをすべて説明つきで見ることができた。

 洗馬宿。木曾義仲が挙兵した時に今井兼平が義仲の馬の脚を洗ったことからつけられた地名で「太田の情水」として今も残っている。歌川広重の描いた洗馬の風景は奈良井川の夕暮れで、木曽街道六十九次のうち、最高傑作といわれており、その情景は私の脳裏に焼き付いて離れない。長時間探し求めてやっとこの辺りかと思われる葦の茂る川岸を見つけることができた。長年の宿望を果たし、感無量の想いで暫くその場に立ちつくしていた。

 塩尻峠。峠は急坂で登りがきつく、諏訪湖越しに八ヶ岳連峰を望む眺望は素晴らしい。茶屋本陣は今も民家として使われており、旧中山道もそのまま残っている。熊出没注意の立札に驚かされる。近くに諏訪大社の御柱を落とす「天下の木落とし坂」があり、そこから見下ろす余りな急坂に思わず足がすくんだ。

 宿場の外れに首塚と胴塚がある。武田信玄が塩尻峠の合戦で小笠原長時を破った時のもので、首と胴を離ればなれに埋めたところに、信玄の鬼気迫る非情な闘魂をみせられた。合掌。

 下諏訪宿。当時は中山道唯一の温泉の湧く宿場として旅籠も多く賑わった。宿場内に中山道と松本街道の分岐点がある。諏訪大社は今回は割愛し、万治の石仏と水戸浪人塚を訪れた。

 水戸浪士はわが大塚家の祖先とのゆかりが深い。維新を目前にした水戸藩勤皇党の早すぎた挙兵と、その悲惨な最後を惜しむ気持ちが日頃強かっただけに、その墓前に深く頭を垂れ、その霊安かれと祈った。
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