旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->48.九州の旅-(2)五家荘・岡城跡

2004/03/01 15:27

週刊BCN 2004年03月01日vol.1029掲載

 五木村から五木川沿いに北上して、今も秘境の面影を残す五家荘に着いた。人里離れた山奥の僻地に、平家の落人部落らしい茅葺き屋根の民家が数軒建っていた。入山当時の苦労に想いを馳せながら、ここで山菜そばの昼食をとる。

 そこから急な坂道を少し登ると、いきなり朱塗りの立派な能舞台が現れた。壇ノ浦で敗れた平清経がこの地に逃れ、一族郎党と共にここに居を構えたと、隣接の平家伝説館に詳しい説明が書かれていた。

 それにしてもこんな山奥でよく生活出来たものと、人間の生への執念と生きる力の強さに驚く。それと同時に能舞台に見る落人達の京への憧れと、並々ならぬ追憶懐旧の想いを知って、ひどく感動した。私はビルマで敗戦を体験しているだけに、敗者の悲哀と心情が痛いほどに推察できた。

 阿蘇外輪の山道を走り続けて、大分県竹田市の岡城跡に着く。標高300メートル、その規模熊本城に匹敵するといわれ、島津軍も落とせなかった難攻不落の山城で、その歴史は古く明治の版籍奉還まで800年安泰だった。深い谷にそそり立つ石垣は絶壁となって人を寄せつけない。

 本丸跡の広場の一画に、「荒城の月」を作曲した滝廉太郎の像が、遠く久住連山を眺望して建っていた。少年時代を竹田で過ごした廉太郎が故郷の岡城を偲びながら不朽の名作を作り、いよいよこれからという時に若くして病没した。人生のはかなさと、城の栄枯盛衰が重なり合って、一層この曲が人々を感動させている。
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