戸板祥子の筝曲の時間

<戸板祥子の筝曲の時間>11.「ままの川」

2003/09/22 15:27

週刊BCN 2003年09月22日vol.1007掲載

 「夢が浮世か浮世が夢か…(この世は夢のようなものであろうか、あるいは夢のようなものがこの世なのか…)」

 江戸時代に作られた「ままの川」の歌詞の冒頭はこのような意味の歌詞で始まる。

 箏、三弦、尺八の三者によって合奏されるこの曲を、初めて弾いたのは、まだ中学生の頃だった。

 遊女の嘆きが描かれている歌詞の意味がわかるようになったのは、もっとずっと後であった。

 曲名の「まま」は「ままよ」の意味で、施す手段なく、やけ気味の時に発する嘆声である。

 世の中捨て鉢になっている人が多いが、音楽家にとっても、やけになることは1番の禁物である。

 覚えているはずのメロディを忘れ、音色はあっという間にとげとげしく、痛々しい音に変貌するのだ。

 しかも、本人は、かっかきているから、テンポが加速していっていることにも気づかない。

 「ええい、ままよ」と思って演奏が爆走したら、次回からの共演者はいなくなるだろう。

 さて、曲のなかで、「ままよ」と嘆くのは遊郭の女性である。

 好きな男の移り気に、「ままよ」となるのである。

 歌詞を要約すると、世間では恋愛の自由な遊郭のことを、「夢の世界」というけれど、そこに遊びに来る男たちは平気でよその女の香りを衿や袖口につけてやってくる。

 そして素知らぬ顔で、「可愛い、可愛い」と言ってくれるが、それは明け方に鳴くカラスと一緒。それなのに真に受けて、あとで涙にくれてしまう…という具合。

 男性の束の間の愛の言葉を、まるでカラスの鳴き声と同じよ、というのには感心した。

 「可愛い~」は、後唄(曲の後半の手事の後に出てくる唄)にあたるのだが、男性では高すぎる位の高音で、その前の「よその香りを衿、袖口につけて通へばなんのまあ」の部分とともに、1番盛り上る部分である。

 いつの世、どこの場所でも、恋愛となると、なるようにしかならないのか、と嘆くひとも多いのだろう…
  • 1