旅の蜃気楼

小林一作さんのこと

2003/09/01 15:38

週刊BCN 2003年09月01日vol.1004掲載

▼「Information Processing」の究明に取り憑かれた男がいた。小林一作、1925年、東京に生まれる。2003年8月11日、横浜で永眠。枕元の小さな書庫に「情報科学」が並んでいた。顔を覆った白いガーゼは鼻の辺りが高く、覆いをとるのが怖かった。7年前にお別れしたのが最後だった。1975年の初対面以来、いつお会いしても緊張の連続で、そのたびにもう会うのはいやだと思い、少し時間が経つと、電話を入れ、再び、もう会うのはいやだな、の繰り返しであった。実に屈折した不思議な気分だ。

▼師匠と呼ぶ人は限られている。文筆業を志していた頃、富士山のように聳え立つ一作さんは、月刊誌「情報科学」の発行者であり、ダイヤモンド社、日本経済新聞社から書籍を出す売れっ子の物書きであった。第一世代のコンピュータ・ジャーナリストだ。お互いが大酒のみであること以外は、すべて聳え立っていた。「はじめ3行、止め3行。1人の読者を想定して原稿を書く」。「情報とはなんぞや」、「人間はどこから流れてきたのか、いまどの辺りにいるのか」。「これからどこへ行こうとしているのか」。「自己への問いのなかに何かを発見する」。

▼「情報科学」の創刊は65年4月だ。創刊の辞をみると。「Informationの処理という発想が、現実社会の機構の中に組み込まれるまでには、まだまだかなりの時間を要する。言い換えると、これは限りない前進が約束されているのであり、現在とはその日のための準備であり…」。この8月25日、わが国は住基ネットの第2次稼動に入った。一作さんいわく、明日の限りない前進が約束されているのだ。半開きの奥から黒目が天井を見詰めていた。「自己に問え」。(本郷発・笠間 直)
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