旅の蜃気楼

死して明日を残す

2003/06/16 15:38

週刊BCN 2003年06月16日vol.994掲載

▼古希になって、エベレストの頂上に立つ人もいる。同じ年頃で世を去る経営者もいる。虎は死して皮をとどむ、の故事がある。人はそののち、何を残すのだろうか。人によって異なる。2001年3月16日、ITベンチャーの巨星が逝った。大川功さんだ。生前は訛りの強い関西弁で、「どやされているのか」と思えるほどの凄みで、人を圧倒した。人材派遣事業を世の中に認めさせるべく、80年にIT業界初の株式公開。85年には東証一部にのし上がり、さらに世の中に躍り出た。その間に得た資本力、人脈をもとに派手なパフォーマンスで、90年代を駆け抜けた。

▼時はネットITベンチャー時代。大川さんは新しい企業の誕生を支援したり、セガ、アスキー、T・ZONE.という有名企業の窮地に救いの手を差し伸べたりと、西の稲盛、東の大川といわれるほどにベンチャー企業の旗振り役を演じた。しかし、本業のCSKはネット時代の価値の喪失にあって苦戦を強いられる。年齢も70歳を超えた。打つ手がちぐはぐになっている。思い描く着地点に到着することなく、74歳で世を去った。その後のCSKグループは伸び放題だった枝を切り、主幹を残して復活した。

▼6月9日、東京・全日空ホテルで、「第一回CSK eサービスフォーラム」が開催された。青園雅紘社長は挨拶で「いまさら、といわれる方もあるでしょう。が、大川功の思いのなかで…」と語り出した。いま、CSKは、新しいビルを青山につくり、新たな道に船出した。今後はユーザーとともに、時代を勉強しながら、明日を築きたい。と、こんな内容であった。MITスローンスクールのエリック・B教授の「デジタル組織」の内容は好評だった。7年前に大川さんは30数億円をMITに寄付した。この資金がこのコンテンツ研究につながっている。大川死して明日を残した。(本郷発、笠間 直)
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