旅の蜃気楼

ふつうの人たち

2002/12/16 15:38

週刊BCN 2002年12月16日vol.970掲載

▼街にいると山が恋しい。山にいると街が恋しい。人間はわがままにできているんですね。今年もそろそろ幕を閉じる。NY911の翌年だったから、不穏な一年だった。イラク問題、北朝鮮問題、企業の内部告発、政治経済の混迷。出口が見えないまま、年が暮れそうだ。そんな中、勇気づけられる出来事があった。小柴昌俊さん、田中耕一さんのノーベル賞受賞だ。お二人の相違点が興味深い。親子ほどの年齢差。33才違いは、ほほえましい。杖を突きながら歩く、あぶなっかしい小柴先生の足元。ひょうひょうとした言動で威圧感のない田中さん。このコントラストが実に新鮮だ。

▼田中さんはその名前も身近だし、子供の運動会で一等賞をとったおとうさん風なのが、なんともかっこいい。遠くの国の、一部の学者のノーベル賞を、庶民の心にまで浸透させた。リストラ、内部告発、経済自殺といった羅生門的な世相の中で、疑心暗鬼が蔓延し、自己中心的な言動がさらに殺伐とした人間関係を綾なしている。もうこんな状況は、今年で幕引きとしたい。田中さんの言動に、そのさわやかさに勇気づけられた。小柴さんは東大名誉教授で、何年も前から受賞が期待され、そのたびに、記者が小柴邸を埋め尽くし、選に外れると、鳥が飛び立つようにして記者は引き上げ、その場にはいくつかの寿司桶が残っているだけ、といった記事を読んだ。こうしたことを何回も続けながら年をとっていくと、人生の価値を考えさせられる。

▼お二人がノーベル賞をはなやかに受賞した記事が、12月11日、日刊紙の一面を飾った。心から「おめでとうございます」。そのなかで、日経11面に目立たない5段広告があった。三井金属鉱業、神岡鉱業の連盟広告だ。「地下1000mの場所に私たちは前代未聞の空間を築きました」。「私たち社員ひとりひとりが、その慶びをかみしめています」。この空間でノーベル賞は生まれた。彼らはそれを“岩盤エンジニアリング”と呼んでいる。幾人かの人に会った。普通のおじさんたちだった。
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