ITテッなライフ

<ITテッなライフ>5.芝居がかる人

2002/11/04 15:26

週刊BCN 2002年11月04日vol.964掲載

 長崎の、とあるクラシックホテルに泊まった。ダイニングルームは天井の高さが7メートルもあり、いきおい解放感のある空間だ。

 待ち望んでいた夕食がやってきた。皺ひとつない純白のシャツに黒の蝶ネクタイの、きちんと整えた身なりの男性がサービスしてくれる。その態度といい、言葉づかいといい、名のあるホテルの由緒正しさを受け継いでいるような素晴らしいスマートな応対である。感動していると、連れが「毎日こんなところで働いていると、芝居がかってくるんですよ。きっと」と言った。なるほどなるほど。

 話はJR渋谷駅のホームにひとっとびする。

 先日、改札をくぐり抜けてホームへ続く階段を昇っていると、ホームから男の人が誰かを怒鳴りつけている大声がきこえてきた。

「いったいオマエどうなってんだよー」、「この仕事の責任は誰がとるつもりなんだよー」

 おいおい、なんだなんだ。野次馬根性が少し頭をもたげて、昇る足を急がせる。

 声の主は30代半ばのサラリーマンとおぼしき黒いスーツ姿の男性だった。大勢の人々が通る場所であることを怒り心頭のあまり忘れてしまったのだろうか、幅の広くないホームの真ん中にしゃがみこみ、携帯電話の相手に激しい言葉を浴びせているではないか。おやおや。まあ。行き交う人もおののいている。

 途端、この人も芝居がかっていると思った。大勢の人が通るホームを舞台に、誰よりも優位に立つオレ、を演じているようである。

 あのケイタイが演出に一役かっているんだよなあ。そう思ってくだんの男性を見ていたら、電車がやってきた。そそくさと乗り込む。やわらかな温気が身体中にまとわりついて、不思議な安息感につつまれる。ホッ。しゅううとドアが閉まり、がたんたたんと電車は走り出した。男性がだんだん小さくなっていく。あれから彼はホームにしゃがみこんだまま続けていたのでしょうかね。「いったいオマエどうなってんだよー」などと。
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