旅の蜃気楼

ニュートリノの町

2002/10/21 15:38

週刊BCN 2002年10月21日vol.962掲載

▼街にいると山が恋しい。山にいると街が恋しい。人間はわがままにできているんですね。そんな人のために、とても都合の良い町があるんです。飛騨・神岡町。もしや、この10月8日を境にして、「その町はどこにあるの?」とは読者の方もおっしゃいますまい。そうです。東京大学名誉教授の小柴昌俊先生が受賞したノーベル物理学賞のニュートリノを発見した観測施設「カミオカンデ」のある町です。その昔、神岡鉱山として、亜鉛の採掘で財を成した町。人口のピークは1963年の2万6千人で、現在は1万1千人。右肩下がりの人口減少と景気の長期低迷で、明日の町づくりを模索している最中に、突然、前触れもなく、一挙に「世界の神岡」に昇格し、町は「中性子の崩壊」に似た爆発状態にあった。

▼神岡商工会議所が主催する講演会のために、11日、神岡に向かった。町のあちこち、役場には、「祝、ノーベル賞受賞、小柴先生」の横断幕。商店街の家々のガラスにも、お祝いのチラシが貼ってある。盛り上がっている。「カミオカンデ」の実験は68年ごろから始まった。ニュートリノの初検出は87年2月。この観測施設は鉱山を採掘した後の空間利用だから、施設の環境は神岡鉱業という鉱山運営のプロたちが支えている。だから、鉱山の町である神岡町民全員が、「おらが町の誇り」となって、爆発した。くしくも、この4月、青年たちが担ぎ出した新任の船坂勝美町長が、積極的な町づくりを推進し始めたところだ。ノーベル賞が追い風となった。

▼船坂町長は岐阜県・梶原拓知事の政策を支えてきた1人。町おこしのアイデアは豊富だ。「180戸ある町の空家を、起業を志す人、定住を希望する人にお貸ししたい」。そんな広告を出したら、2400件もの問い合わせがあったとか。応募は電子メール。さすが岐阜県だ。「小柴先生に質問したんですよ。“ニュートリノはいつ頃、役に立ちますか”と。すると、1000年先なんですって。星と星の通信に使うんだそうです」。長生きしなきゃ。(神岡発・笠間 直)
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