旅の蜃気楼
<e-Silkroad編 アジアのIT利用技術立国を目指せ>その15 創世記の混沌
2002/04/15 15:38
週刊BCN 2002年04月15日vol.937掲載
創世記の混沌
▼生きているということは、この先何が起こるか分からないということなんだ。それは喜怒哀楽の潜んだ未知数だから、不安でもあり、楽しみでもある。そこに、夢を描くことができたらすばらしい。NY911事件の時は驚いたけれど、阪神の7連勝にはビックリした。暗くて、子供じみて、本末転倒して、私憤にみちた国政のニュースばかりのなかで、阪神の爆発は希望に満ちている。夢の8連勝の試合の時には、奥武蔵野の山を散策していた。胸をときめかせてiモードで確認しながら、一喜一憂しつつ下山したら負けていた。残念だ。ドラマ作りのために、時の監督も、「1人だけの粋な計らい」をしても、豊かな思いができたのではないか。いやいや、勝負の世界は真剣勝負だと叱られそう。▼iモードはさらに便利になっている。最近では、日本国中、どこにいても、相当な山奥でも十分つながる。ますます47都道府県の情報格差がなくなっている。ニューヨークにいても、上海からでも、インターネット経由で、何の不自由なくiモードで会話ができる。考えてみると、国の意識とはなんだろう。外国に行くと、日本人同士で仲間意識のようなものが芽生える(ただし、状況によっては、知らないそぶりをすることもある)。仲間意識があるとすれば、言語、味覚、生活環境、知識、見た目の共通性が、仲間意識をもたらしているはずだ。でもアジアの国から帰国すると、入国カウンター前にきて意外な光景に遭遇する。「あの人、日本人じゃないんだ」。もちろん独白なんだけれど、知らないうちにそんなことを判断している。しかしその人は日本人なのである。
▼仲間の重要な条件は情報・文化の共有がある。今年に入って、「2ちゃんねる」にはまっている。そこに、サイバーワールドの創世記を見るからだ。スレッドが立つ。書き手がブラインドされたところから、自由奔放にメッセージを書き込む。それにまたブラインドされたところから、別の書き手が書き込む。その流れを、これもまたブラインドされたところから、そっと見ている。これが創世記だ。混沌は終焉期のそれと同じでも、異質だ。アップルの原田社長が4月7日、再婚した。ZDNETでニュースが出る前に、すでに「2ちゃんねる」ではこの話題で盛り上がっていた。情報、文化の共有とはなんだろう。ネットジャーナリズムの草分け「毎日インターネット情報」が幕を閉じる。臺宏士記者がじつに見識に富んだ惜別の一文を入れている。「今回の勃興期におけるネットジャーナリズムの毎日新聞の試みに、一応の区切りがついたという気もする。21世紀の早いうちに、ネットというメディアも新聞、出版、放送と並ぶジャーナリズムの一角を占めることは間違いない。…最後に。読者の声が励みでした。メディアは読者に育てられる、と実感しています」(抜粋)。これからだというのに…。(旅の蜃気楼 本郷発・BCN主幹奥田喜久男)
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