旅の蜃気楼
<e-Silkroad編 アジアのIT利用技術立国を目指せ>その6 日本語の壁
2002/02/11 15:38
週刊BCN 2002年02月11日vol.928掲載
▼何のために、苦労して日本語を勉強するのか。今のところ、インド人の日本IT市場に対する魅力は小さいとみた。言語ばかりではない。食事の環境にしても日本は整備されていない。身近な東京を思い巡らしても、限られたインド料理店、カレーショップだけだ。インドの人は食事のときに、「ベジかノンベジ」の店を探す。ベジはベジタリアンだ。インド人にはベジが多い。恥ずかしいかな、こんな食文化の基礎知識も知らなかった。これでは日本にインド人を迎える環境はできない。だからインドでの日本向けソフト開発会社は人材を採用するのに苦労する。かつ、育てるのに時間とコストがかかる。育てると、それはそれで、いい条件の会社に転職するから、がっかりする。苦労の連続である。
▼インドのIT企業が変化を見せ始めたのはNY911以降だ。アメリカ一点張りから、日本にも目が向き始めたのだ。それに先んじるように昨年8月、日印ソフト(http://www.nichi.com/)とアコード(原真社長、写真)はソフト開発事業の業務提携を結んだ。アコードは香港に本社をおくIT商社で、台湾を主力拠点に事業活動している。そのアコードがインドオフィスを開設した。「インドでのソフトウェア開発、情報収集などをインドのシリコンバレー、バンガロールでお手伝いする」という事業展開だ。原さんのインド訪問は1976年に始まる。どうも、ヒッピーにあこがれていた時代のようだ。不思議な眼力をもった人で、パソコン産業の黎明期から新しい潮流を読むことで有名だ。原さんの歩いた後には、現に産業の道ができている。台湾は世界のPCボード生産基地になった。香港から深 も一大生産基地が広がった。
日本語の先生、荒木隆三さん。神戸大学哲学科を81年卒業 |
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