旅の蜃気楼
<e-Silkroad編 アジアのIT利用技術立国を目指せ>その2 NY911から札幌へ
2002/01/14 15:38
週刊BCN 2002年01月14日vol.924掲載
▼この言葉との出会いは、NY911から2か月近くが経った10月31日だ。IT分野のジャーナリストとして、知っておくべき言葉であったが、不勉強ゆえ知らなかった。話はこうだ。NY911を体験し、帰国した直後の10月初旬、長年の取材先として信頼を分かち合っている日興通信・相談役の鈴木功一さんから突然、旅の誘いを受けた。鈴木さんとは、13年前からの旅仲間で、マレーシアの関連会社の訪問に始まり、アジア一帯を、もう幾度も視察に出かけた。大概、突然のことが多い。この時も「札幌に行かないか。今度とお化けは出たためしがないから、来週いこうや」というわけだ。来週ではあまりに急だから、ということで数週間後の10月31日とした。実は鈴木さんには内緒で出発したが、11月3日からシンガポール、バンガロール、上海への一挙取材を予定していた。それを札幌で、話の肴にしようと決めていた。
▼鈴木さんの周囲への気配りは学ぶべきものが多い。相手がどんな状況にあって、何を望んでいるかを、常にサーチしていることだ。それには“目的”のような願いが含まれている。その人に花を咲かせてやろう、と常に相手の立場で考えておられることだ。平成版「花咲じいさん」である。どうもその極意は趣味の蘭栽培から会得している節がある。趣味といっても、2000株はゆうに超えていると聞くから、本業のようなものだ。日興通信の創業者である父から会社とともに引き継いだ営みだ。これほどの株数があると資産勘定に値するのかしら、と余計なことまで考えてしまう。それはさておき、きっと花咲じいさんにしてみれば、こちらも珍種の蘭の1株程度と思われているのだろう。実は、花咲じいさんの気配りは2001年9月17日号1面に掲載した「ニューヨークWTCの惨事」の記事に端を発する。(本郷発・BCN主幹 奥田喜久男)
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